「よなご映像フェスティバル 2014」審査講評
「よなご映像フェスティバル 2014」審査講評
  • Posted:
  • 2014.12.14
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   いきなりリアルな戦闘シーンからスタートした『ブローバックマウン
 テン』には驚かされました。ロケーションは山中、俳優は明らかにプ
 ロ、衣装や小道具もしっかりしていて、弾着や血糊の描写もおこたりな
 く、まるで商業映画を見ているようです。
  そんな戦場にリクルートスーツの女性が、派遣兵士として投入される
 というあり得ない展開も、観客を面白がらせようという作者の工夫が見
 てとれて、それなりに楽しめるのですが…。
 
  さて、こういう達者な作品をフェスティバルのコンペでどう扱うか、
 という問題にはいつも悩まされるところです。
  技術的に優れていて、面白ければいいではないか…。
  という意見もあるでしょう。しかしここには、すでにある「映画」を
 踏襲する技術と面白さはあっても、映画への新しいアプローチは、残念
 ながら感じられません。こういう面白さなら、テレビや映画館でいくら
 でも見れるでしょう。
 
  たとえばフランスの現代美術家クリスチャン・ボルタンスキーが手が
 けた映像作品は、一篇がいずれも秒単位の短さでした。屋根裏のアトリ
 エで、血を吐き続ける男。あるいはマネキンの粟立った肌を舐め続ける
 紅い舌。といった数十秒単位の短い作品ですが、じつに長編劇映画に負
 けないイメージの強靭さを具えていました。
  観る側の脳裏に住み着いてしまうようなそのイメージのインパクト
 は、二時間内外の商業的な上映時間の枠から大きく逸脱しているため
 に、映画館では公開されませんでしたのであまり知られていませんが。
 作者もまた一般的な映像作品として評価されることを求めていたわけで
 はありません。
  ストーリーなし、セリフなし全5作品全部合わせても10分あま
 りの長さの映画。そんな型破りの映像作品と出会えることが映像フェス
 ティバルの楽しみでもあります。
 
  今回の公募作品の多くが、商業映画の形式を踏襲することを狙ってい
 ました。
  撮影所でなくても、デジタルカメラとパソコンがあれば個人で映画を
 手がけることが出来る時代が招来した現象でしょうが、しかし中には、
 『夢の埃』のように、女性の顔のアップと室内の情景だけで、醒め際の
 夢のような世界を描いている作品も見受けられました。
  個人で映像作品を手がけるということは、作者のこだわりや思いに寄
 り添った作品を手がける、ということです。不特定多数の大向こうを唸
 らせようと、大きく構える必要はありません。特定の観客の胸に深く届
 けばいいのです。「個人の思い」それが映像文化の新しい時代を開く鍵
 となるでしょう。
 
 ◎グランプリについて
  少年時代の自分と、青年の自分が対話する、という不思議な関係を描
 いたのは寺山修司の『田園に死す』でした。沼田友の『see you 
 soon』は、生まれる前の自分と死後の自分の対話という、更に不思議な
 関係を描いています。
  しかもその場所が、主人公が誕生し、そして死亡診断書が書かれた病
 院。洗濯物がゆるやかに揺れている屋上に限定されています。アニメー
 ションというとしばしば視覚的にドラマチックな背景が選ばれますが、
 作者はそうではない場所に空間を限定し、主人公二人の対話に焦点を
 絞っていきます。つまりアニメの省力化によって対話のニュアンスや、
 ちょっとした風の揺らぎ。夕景の輝きに観客を誘う演出しているのです。
  アニメというと、キャラクターの魅力次第で、作品の善し悪しが左右
 されかねませんが、ここでは、達者とはいえない主人公の素朴な画質
 が、達者な声優による会話を大いに引き立てています。いわばアニメの
 常道を外すことによって素晴らしいドラマを生んでいると言えるでしょ
 う。
  作者はこれまでも倒立した世界や、帰郷列車の座敷わらしを描いた常
 連出品者ですが、この作品はそうしたこれまでの努力が見事に結実して
 いて、文句なくグランプリに推すことが出来ました。
 
 ◎準グランプリについて
  授業が終って皆が帰った後、取り残された男子ひとりと女子二人。ド
 アを開けて帰ろうとするけれど、なぜか教室に戻ってしまう。教室から
 出ることが出来なくなってしまうんですね。
  そんな不条理なシチュエーションに放り込まれた三人が理由を探ろう
 としているうちに、やがて相手を罵倒しあう展開になってくる。日常で
 は使うことが出来ない剥き出しの言葉のやり取りが、互いの中に踏み込
 まないコミュニケーションを不文律としている高校生活にとってなんと
 も痛快ですね。
  高校生の作品というとしばしば表面を飾りかねないけれど、「作品」
 ということでちょっぴり本音を吐き出して楽しんでいるところが、社会
 人にとっては羨ましいところですね…。
 
 ◎かわなか賞について
  『take the air』は、書物から活字が抜け出して宙空を漂うと
 いう、活字好きにはなんとも恐ろしい作品。その書物が、松江に住んだ
 小泉八雲の著作からとなると、なんとなくミステリアスですね。そうい
 う設定と、書斎で開かれた書物から、活字がふあふあと浮き上がるとこ
 ろがじつに見事に出来ているので、窓から抜けて月光に照らされた夜の
 城下町へと浮遊するシーンも。明らかに合成なのにしっくりとなじんで
 います。
  お城の上空を通過して、お堀の水面をすべり、やがて漢字や片仮名を
 交えながら再び書斎に戻ってくる。一篇のメルヘンとして楽しませてい
 ただきました…。

 

最終審査員:かわなかのぶひろ